episode04

用途不明の木製品を「ネズミ返し」と推定

東京大学人類学教室講師八幡 一郎

登呂遺跡の発見は、日本の考古学に大きなインパクトを与え、「静岡市登呂遺跡調査会」が発足しました。この中心メンバーとなったのが、八幡一郎氏(東京大学人類学教室講師)です。

昭和22年(1947)の発掘調査では、八幡氏の他、今井登志喜氏(東京大学)、大場磐雄氏(國學院大学)、駒井和愛氏(東京大学)、杉原荘介氏(文部省 ※昭和23年~明治大学)、島村孝三郎氏(東亜考古学会)などがメンバーとなり、さらに人類学・地質学・動植物学・建築学・農業経済学などの各分野の研究者が加わり、日本で初めて総合的・学際的研究が行われました。これは、日本の考古学の歴史にとって画期的な出来事でした。発掘の成果が報道されると大きな話題となり、世論に動かされた政府は、この発掘を国家的事業にすることを決定しました。昭和23年(1948)に日本考古学協会が発足すると、八幡氏は登呂遺跡調査特別委員に就任しました。

八幡氏の主な業績の一つが、「ネズミ返し」の推定です。出土された用途不明の木製品を、八幡氏は高床倉庫へのネズミ等の侵入を防ぐ「ネズミ返し」ではないかと考えたのです。その後、別の弥生時代の遺跡の発掘調査の結果から、八幡氏の推定が正しかったことが確かめられています。

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